『プロローグ』
宇宙から降りそそいでいるカラーパワーは無限のエネルギーを秘めています。
そして私たちの誰もが平等にそのエネルギーを浴びることができます。
ただ、そのエネルギーを正しく受信するには少しだけ、カラーの法則を知る必要があります。
黒い服ばかり着ている人を見ると、「黒ばかり着ちゃだめだよ!肌を老化させますよ。」
レストランに青いテーブルクロスを使っているのを見ると、「青は食欲を減退させるから、橙に変えた方がいいですよ。」 似合わない暗い色の服を着ている人を見ると、「もっと明るい色を着た方が若々しく元気に見えますよ。」
不眠症なのに赤のパジャマを着て寝ていると言われる方に、「赤を着ているから、興奮して眠れないのですよ。そんな時は気持ちを静める青を着て眠るといいですよ。」
とおせっかいな私はついつい声をかけてしまいます。
どうして、こんなに大事なカラーの事をほとんどの人がまだ知らないのだろうと不思議に思います。
きっと、一般の学校教育でカラーに関する知識を得る機会がほとんどなかったからだろうなと思います。
それなら、私がカラーの素晴らしさを伝えていったらいいんじゃないかなっと思うようになったのです!!!
多くの人にこの素晴らしいカラーパワーを伝えて、潤いある、心豊かな生活を送ってもらいたい。
なぜなら、カラーは言葉以上に多くのメッセージを持っていて、視覚からだけでなく、皮膚呼吸としても、限りなく私たちにはたらきかけてくれているからです。
カラーとの出会いによって、少しだけカラーの法則を知った私にはハッピーミラクルな出来事がたくさん起こっています。
それは今も、永遠に続いていくと確信しています。
『カラーに出逢うまで』
社会に貢献していない。 社会から孤立している。 三食昼寝付きででいいねえ!
お気楽だねえ! 年金払っていないよねえ! 毎日友達とランチとは羨ましいわねえ!
これらの言葉がどこからとなく聞こえてくるような気がしていた、少なくともカラーに出逢う前までは…
きっと被害妄想が入っていたのは間違いないのですが、これらはこれといって何の資格もない、専業主婦だった私に向けられた想像上での言葉の数々。
開き直って、そんなに専業主婦じゃいけないの?と何度もつぶやいていたあのころ。
子供の頃からの夢はいろいろとありましたが、一番の夢はいいお嫁さんになること。
その夢はすぐに実現し、仲の良い同級生の中でも、一番早く結婚した私は、すぐに二人の子供が生まれ、専業主婦は当たり前と思っていました。
子育てしながら、働くなんて考えてもみなかったし、子育てしながら働いている女性を見ると、スーパーウーマンだと思っていました。 けれど、心のどこかで憧れていたのも事実でした。
だって、どう考えても私にはできっこないことだったからです。
毎日、主人や子供たちのために美味しいご飯を作り、家の中を綺麗に掃除し、綺麗なお花を飾り、バルコニーにはミニガーデンをし、休みの日は家族で出かけ、年に1回夏休みには旅行に出かけ、それだけで良かったのです。
けれども何か物足りない、それが何かはまだその頃の私にはわかっていなかったのです。
子育ては思っていた以上に大変で、一人目は全てが初めての事だらけで、もうそれはそれは一生懸命でした。
けれどもその一方では可愛くて可愛くて、赤ちゃんってただ見ているだけで飽きなくて、不思議な生き物でもあり、一日一日が新しい発見で、神秘的でした。
気がつけば、一時間でも二時間でもビデオを片手にずっと眺めていたこともたびたびでした。
二人目が生まれたときには、結構勝手がわかり、随分手抜き子育てをしたように思います。
最初が女の子で、次に男の子、一姫二太郎で女の子と男の子の両方の子育てができ、随分楽しませてもらました。
(今もなお子育ては続いているのですが…)
長男が幼稚園に通いだしてからは随分自由になる時間ができ、今まで我慢していたことを一気に始めました。
もともとおけいこ事の好きな私は、学生時代から、茶道、華道、書道、着付け、料理、ダンス(今考えてみると、やはり花嫁修業のおけいこがほとんどですね。)と結構習ってはいたのですが、まだまだやりたいことがたくさんあったのです。
まずは子育てで休んでいた茶道、華道、書道、バレエを再開。
そしてフィットネスの会員になり、ダンスを再開。
(後にそのフィットネスではまりにはまった社交ダンスに出会うのですが…)
エアロビクス、クラブジャズ(ジャズダンスの一種)、ヒップホップ、フラメンコ、社交ダンス…
フィットネスの方からは「毎日出勤のようですね。」と言われるくらい毎日朝10時から長男の幼稚園のお迎えの時間ぎりぎりまで踊っていたのですから、そう言われるのも無理ないですね。
フィットネスだけでは飽き足らず、カルチャーにも通い始め、トールペイント、ロマンドール、ビーズアクセサリー、フラワーアレンジメント、パッチワーク、紅茶教室 … いろんな事をしてみました。
(後に私の人生を180度変えるカラーに出会うとはその当時の私には夢にも思わなかったのです。)
けれども結局手芸はすぐに飽きてしまい、長続きはしなかったのです。
その頃に作ったできそこないの作品は今でもクローゼットの中に未完成のまま眠っています。
時間が許す限り、やりたいことは何でもやってみました。
今までの出来なかった時間を取り戻すかのように…
けれど、何か物足りない、次第にそう感じる度合いが大きくなってきていました。
自分だけが満たされているだけ?それは誰のためでもない自分だけのため?
私の存在はもしかしてどこにもないのかもしれない。
そういえば、○○ちゃんのママ!○○ちゃんのおばちゃん!○○さんの奥さん?
私にはちゃんと名前があるのに、結婚してからは名前で呼ばれることがほとんどありませんでした。
何か人の役に立つ事をしているのだろうか?
本来、頼まれると嫌と言えない性格なので、子供の学校関係のPTAの役員、子供会の役員、長男が所属していたボーイスカウトのリーダー、いろいろと引き受けましたが、これも思ったほど充実感が得れませんでした。
そうこうしているうちに、一緒にランチ、ショッピングと共にしていた友人たちが一人、二人と働き始め、次第に何もない自分に焦りを感じ始めました。
彼女たちはすぐにでも働ける資格をちゃんと持っていたのです。
このまま、何もしないまま、毎日が過ぎていくことへの不安、かといってこれといった取り柄もない。
求人情報誌をみても、年齢制限で引っかかる。(ほとんどが30歳までとある。)
何かをしなくてはという焦りだけがつのる毎日。
このころから長い長い二度目の自分探しの旅がはじまったのです。
このまま、何もなく過ごしているのがたまらなく、何か自分自身が打ち込めることがしたい。
もし、それが仕事でなくてもいいから、好きなことがしたい。
そんなある日、いつものようにフィットネスに行った私は、偶然、社交ダンスに出会ったのです。
私が小さい頃、両親がよく家でタンゴやマンボ、ルンバを踊っていたので、少しは社交ダンスの事、知っていたつもりでしたが、私がフィットネスで見たそれは記憶のダンスとははるかにかけ離れていたものでした。
高齢者がフォークダンスのように踊っているイメージが強く、フィットネスでメニューに社交ダンスがあることを知っていながら、今まで興味もなく、覗いたこともなかったのです。
偶然見てしまった社交ダンスは激しく、速いテンポのダンス(後になってこれがラテンアメリカンだとわかったのですが…)で、その場で釘付けになってしまいました。
社交ダンスシューズも持っていなかった私ですが、そのままエアロビクスのシューズのまま参加したのを記憶しています。
なんて、楽しい!今までやったダンスとは比べものにならないくらい面白い。
一人で踊るダンスしか経験したことのなかった私は、回される、踊らされるこのラテンダンスにはまりにはまっていきました。
熱中出来ることに出会い、フィットネスでの週2回の社交ダンスが待ち遠しく、すっかり仕事探しなど忘れてしまいました。
そしてあさはかな私は社交ダンスの先生の資格を取ろうと思うようになるのです。
そんなに簡単になれるわけがないと今になってわかったのですが…
『カラーとの出逢い』
社交ダンスに出会ってからの私はもう狂ったようにのめり込んでいました。
私が通っていたフィットネスは月会費1万円でバイキング方式で社交ダンスも受け放題だったのです。
その当時は木曜5時間、土曜3時間と週8時間受けていました。
今から思えば信じられない事です。
なぜなら、社交ダンスは1時間8千円が相場だからです。
もちろん、個人レッスンの料金ですが…
当然、フィットネス側は採算が合わなくなり、2年後にはそのフィットネスから社交ダンスはなくなってしまいました。
週二回8時間の社交ダンスにはまってしまった私は、仕事をしたいという気持ちもどこかへ吹っ飛んでいました。
何かに熱中できることが見つかるのは人をここまで変えてしまうのかと不思議に思うくらい充実した毎日でした。
それから、6ヶ月くらいたったある日、忘れもしない2000年4月、マンション内にあるカルチャーの宣伝広告を目にしたのです。
「パーソナルカラー1日体験」
その頃の私は「パーソナルカラー」という言葉の意味さえも知らなかったのでした。
もともとカラーには興味があったし、色合わせするのが好きだったので、どんな内容かもわからず、とりあえず参加してみました。
参加者は私を含めて、4人と少なかったのですが、教えられる先生がとっても素敵で、そのとき、「こんな職業があるんだ。もしかしたら、私がやりたいことかもしれない。」と心の中で思ったのを鮮明に記憶しています。
体験講座の内容はもう目からうろこの似合う色(パーソナルカラー)の話だったのです。
体験講座だから、お話だけで見てはもらえなかったのですが、パーソナルカラー理論、「人には生まれ持って似合う色があり、その似合う色は一生変わらない(今ではパーソナルカラーは食生活、健康状態、日焼けなどによって微妙に変化するという考えが一般的になってきましたが…)から、似合う色を知っているだけで5~10歳も若返りますよ。」という、初めて耳にした先生の話に夢中になっていましました。
もちろん、その場で即、申し込みをして、早く自分のパーソナルカラーを知りたい思いで、講座の開講が待ち通しかったことを覚えています。
そしていよいよ講座の初日、行ってみると3人での開講。
私より少しご年配の方2人と私。
初回はまずは色の話で、次回ノーメイクでのパーソナルカラー診断との事。
2週間が待ちきれず、暇だった私は、その間、本屋さんに行っては、置いてあるパーソナルカラーの本を片っ端から読みあさり、すっかりパーソナルカラーの知識人になっていました。
二度目の自分探し、素のままで頑張れそうなカラーに出会い、やっと自分らしくなれそうな気がしてきました。
人にはきっと”第二の誕生日”があるのだと思います。
お母さんから生まれた時が”第一の誕生日”だとすれば、自分らしく”自分の羽”で
飛び始める時ではないでしょうか?
高く舞えば”風”が起きます。
成長しているから、きっと”悩み”があるのでしょう。
みんなそれぞれが違っていて、それぞれが輝いていると思うのです。
みんなが何かの”天才” 仲良くなる”天才” 笑わせる”天才” 人を思いやる”天才”
人と比べたりするから、きっと苦しむのかもしれません。
だったら、比べなければいいんじゃないのかな?
10人10色。
きのうときょう、きょうとあしたの自分を比べてみたら…
きっとだれにでも自分だけの、自分にしかできない”使命”があると思うのです。
だれもが選ばれた”宇宙のプリンス””宇宙のプリンセス”
そして、私の使命はカラーを伝えていくこと。
まだカラーに出会って間もないのにどこからかそんな声が聞こえてきたのです。
いよいよ待ちに待ったパーソナルカラー診断の日
本では見たけれど、実際目にするのは初めて。
ワクワクドキドキの中、診断がはじまりました。
100色あるカラードレープ(色布)の中から、テストカラーと呼ばれているカラードレープを先生が順番に当てていかれました。
不思議不思議、顔がドレープの色によって、すご~く変化。
お二人ともオータムの色ではかなり年いって見える。
サマーの色では反対に5~10才も若々しく、上品に見えるのです。
魔法にかかったみたいでした。 いよいよ私。
けれど、自分では客観的に見れないので、実際どれが合っているのかはそのときの私にはよくわかりませんでした。
診断の結果はサマータイプ(涼しく感じる柔らかいパステルカラー)。
結局3人全員がサマータイプだったのです。
「先生!スプリングタイプってどんな人ですか?芸能人なら誰ですか?ウィンタータイプは?オータムタイプは?」
私の質問に先生は困ったなあっと、そして先生曰く「私が実際に診断していないのでわからないのよ。」っと。
とても真面目な先生でいらしたので、それ以上は質問できませんでした。
でもでも私の中ではサマー以外のシーズンの人がどんな人か知りたくて、知りたくて…
この日から私のパーソナルカラージプシーがはじまりました。
その頃は、今ほどパーソナルカラーの講座、セミナーもなく、ジプシーしたくてもなかなか探すのに苦労しました。
その頃、我が家に初めてのデスクトップ型の液晶PCがやってきて、ネットができるようになり、そういう意味ではネットに随分助けてもらいました。
”パーソナルカラー””カラースクール”などと検索しては辞書のように隅々まで見ていました。
それが結構良い勉強にもなっていたのです。
今では似たようなHPがたくさんあり、見るだけでも疲れますが、その当時はまだまだ”パーソナルカラー”のHPは少なかったのです。
当然、スクール選びするほど数もなく、選り好みをするほど差もなかったのです。
今では麻痺してしまったカラー講座の受講料も当時の私にとっては驚く程高かったのです。
当然、すぐには決断できなく、結局1年近くはだらだらと過ごしていました。
カルチャーも初級の月2回の6回コースが終了し、次の中級も行くことに決めたのですが、行ってみたらなんと私一人で、結局その後の上級まで1年近くカルチャースクールでのマンツーマン個人レッスン状態でした。
幸か不幸か、私に合わせて授業が学べるのは大変ラッキーだったのですが、その分のんびりしてしまいました。
そして、1年が過ぎた2001年の4月、私はある一大決心をしたのです。
いろんなお稽古をしたけれど、どれも中途半端。
一応、人並みには出来るようになるけれど、これだけは誰にも負けないといったものは何一つなかったのです。
でもカラーだけはこのままで終わりたくない。
受講料が高いという理由だけで諦めたくない。
そして私は、結婚以来こっそりと貯めていたへそくり(100万円)をカラーに投資する決心をしました。
その分、授業では一字一句聞きもらしてはならないと、もう無我夢中でカラーの授業に没頭しました。
パーソナルカラーアナリストプロ養成講座は楽しくて楽しくて!!習ったはしから、すぐに診断したくなって、診断用ドレープを生地屋さんに買いに行きました。
(その当時は今ほどカラードレープの種類もはなく、値段は20万円近くしたので、受講料を払うのが精一杯で、ドレープまで手がまわらなかったのです。)
4シーズンのドレープを選び、ピンク・赤・黄・緑・青・白の6色を揃え、遊びに来た子供の友だち、親戚、親友などなどを片っ端から診断していきました。
ドレープをめくるたびにみるみる変わる顔色に不思議で不思議で、本当にカラーマジックを実感していきました。
そしてカラーを勉強することによって、私が今までしてきたお稽古が決して無駄ではなく、全てに応用できるんはないかと思うようになりました。
なぜなら、色はあらゆるところに存在しているから。
お花を生けるのも角度や決まり事がありますが、最終的には色合わせ、着物の着付けもやはり着物、帯、帯揚げ、帯締めの色合わせができてはじめて粋に着こなせることができます。
どんどん色の大切さがわかり、私の毎日は色一色になっていきました。
こんなに勉強が楽しいなんて、色の本もいっぱい読みました。
日本色彩学会に入り、送られてくる難しい学会誌も私には愛読書になるくらい目新しくて、面白かったのです。
次々とビジュアルボードも作り、気がつけば、カラーカードでいろいろな色見本を作っていました。
そして、会う人ごとにカラーの魅力を伝えていました。
今思えば、かなりのおせっかいでしたが…
私の子供時代の遊びと言えば、お人形ごっこの着せ替えでした。
その頃流行ったリカちゃん人形とリカちゃんのママの洋品店のお店セットで端切れをお洋服に見立てては良く遊んだのを記憶しています。
外で遊ぶより家で遊ぶことの方が多かったようです。
母がよく私の服を作ってくれていたので、その残り布をはさみで切ったり、縫ったりしてお人形の服を作ってはとっかえひっかえして遊んでいました。
好きなことが仕事になるのが一番いいとわかっていたのに、今まで何がしたいのか?何が好きなのか?わからなったけれど、こうして考えてみると、物心つくかつかないかの頃に夢中になって遊んでいた着せ替えごっこ…これがまさに私が今していることだとわかりました。
カラーコンサルティングでは色布を洋服に見立てて、コーディネイトをしていきます。
とっかえひっかえ、それが実に楽しいのです。
生地屋さんで買ってきた色布をあれこれコーディネイトするのは楽しく、イメージに合わせて、机の上で布合わせをするのが、趣味になっていました。
けれど、感性だけでのコーディネイトは自分の好みに偏ってしまい、やはり基礎から配色を勉強したいと思い始めていました。
そしていろいろ調べた結果、AFT色彩検定の資格を取ることに決めたのです。
思い出します、2002年6月、私は3級、2級併願で受験しました。
まずは色の基礎を勉強しようと、東商カラーコーディネーター試験、色彩士、AFT色彩検定のどれから勉強したらいいか迷いましたが、一番知名度が高く、勉強がしやすいということもあって、AFT色彩検定を選びました。
スクールに通うか、独学するか、これでも随分迷いましたが、その当時、今ほどスクールもなく、時間帯も遅く、主婦の私が行ける午前中のスクールがなく、結局独学することに決めました。
結婚以来、勉強とはほとんど縁がなく、本当に独学で大丈夫なのかと不安がありましたが、好きな事なら何とかなると結構、お気楽に考えていたのです。
2001年5月から勉強を開始しました。
夏の検定にはとても間に合わないと勝手に考え(今から思えば、充分間に合い、最短距離でそのまま1級を受験できたのになあっと?)、冬の受験にしようと決めたのですが、結局は一年後の2002年夏の受験になったのです。
今なら3級をとばして、いきなり2級を受験した方が楽だし、最短距離であるとわかるのですが、何せほとんど情報がなかったので、併願をしてしまったのです。
午前に3級、午後から2級(でも3級のできがいまいちだったら、2級にひびきますから、この受験方法はやめた方がいいです。)を受験、随分疲れた記憶があります。
どうぜ合格するなら、満点合格したいと思って、紀伊国屋にある全ての問題集を買い込み、それらが満点取れるまで、何回も何回も繰り返し、勉強しました。
そんなに頑張らなくてもと思いながら、やり始めると止まらない性格なので…
自己採点では満点取れていたはずだったのに…最優秀賞はいただけなかったのす。
(AFT認定講師になってわかったことですが、満点であっても、独学では最優秀賞はいただけないのです。
スクールに通い、そのスクールがAFTの団体登録をしている受験生のみが対象なんだとか…)
悔しくて悔しくて、次回1級で満点を取ろうと心の中で誓いました。
しかしながら、1級合格までにはそれから約2年の歳月を費やすことになるとはその頃の私は夢にも思わなかったのです。
『カラーのプロになるまで』
パーソナルカラーアナリストの勉強と検定の勉強をしながら、メイクの勉強も始めました。
そして、もう一つの趣味である社交ダンスはフィットネスでの先生が変わった事もあり、前にも増して、没頭していました。
検定が終わったら、少しずつカラーの活動を始めようと思っていたのに、何をどうすればいいかわからず、聞ける人もなく、ただただ身内や知人、友達関係の診断ばかりしていました。
もちろん、ほとんどボランティアで…
そのうち、社交ダンスの方が楽しくなり、しばらくカラーの勉強をストップしてしまいました。
それから半年ばかりたったでしょうか?
2002年5月、突然、没頭していた社交ダンスがフィットネスからなくなり、途方に暮れてしまった私は、抜け殻のようになり、しばらくは何も手つかず状態が続きました。
大好きだったカラーも、社交ダンスも、そしてもう何にも無くなってしまったかのような暗い気持ちで毎日を過ごしていました。
そんなある日、私を変える一冊の本に出会いました。
ある日、友人とメイクの話でバトルになりました。
私はパーソナルカラーから見たメイクを勉強していたのですが、その友人はイエローのコンシーラーを使って、下地をつくっていくという、あのかづきれいこメイクを習っていたのです。
イエローベースの人にはイエローのコンシーラーでもいいけれど、ブルーベースの人には合わないよっと言うと、友人は日本人は皆イエローベースだから、イエローのコンシーラーで良いと言うのです。
「う~ん、それは絶対におかしい。」
そう思った私は、まず習いに行く前に、かづきれいこの本を読むことにしたのです。
この本が実に私を大きく前進させてくれる一冊になりました。
かづきれいこさんはご自身が考え出した、リハビリメイクを誰かに伝えたい思いで、ある教室にご自分を売り込みに行ったと書かれてありました。
それまでの私は自分で売り込む事など頭にはなく、待っていればいつかどこからか仕事の依頼があるのだと勘違いしていました。
どこかに、誰かに自分をアピールしないと誰にも知ってもらえないのだから、仕事などあるわけがないと、そのとき気づいたのでした。
そして、自分で売り込んでもいいのだと(だってあのかづきれいこさんでさえ、はじめはご自身で売り込まれたのだから…)わかった私は勇気を出して、自分を売り込む事にしたのです。
いつでも、バックの中にはカラードレープ2~3色と名刺(今から思えば恥ずかしいくらいの自分で作ったちゃちな名刺)を入れ、売り込めそうなお店があれば、飛び込み営業をするようになったのです。
初めての営業はあの天神橋筋商店街でした。
一軒一軒端から端まで、訪問して回ったのです。
どこの誰かもわからない私が突然訪問してくるのだから、考えたらいい迷惑だったと思うのですが、門前払いを食らったことは一度もなく、皆さん、興味津々で話を聞いてくれたのです。
その時ご縁があって取引をさせていただいたクライアントとは今でもお世話になっています。
大好きな色の魅力をお話できるだけでとっても幸せで、営業(それが営業という行為だったことは後になってわかったのですが…)が楽しみになっていました。
本当、世間知らずの箱入り主婦のなせる技ですね.。
不思議なことに、自分をアピールするようになり、アンテナをはりめぐらせているだけで、今度は向こうから幸運の女神が訪れるようになってきたのです。
まずはじめに、カルチャーのお話が…私の友人が、「知り合いでNTTカルチャー(今はすでに無くなっているのですが…)で店長をしている方がいて、ちょうどカルチャー講師を募集中だから、頼んでみてあげようか?」と言ってくれたのです。
思ってもみない嬉しいお話、もちろん、お願いすることにしました。
そして、カルチャーで講座を開講する前に、友人からその店長をはじめ、カラーに興味のある友達4人を集めるから講座を開いて欲しいと頼まれたのです。
本当、友人に感謝!感謝!でした。
「カルチャー開講に向けていい練習になればいいんじゃない?」っと言ってくれたのです。
なんせ、初めての経験だったので、内心ドキドキでしたが、もちろんお引き受けさせていただき、パーソナルカラー診断と色彩心理、メイクを取り入れた2時間X6回のカリキュラムで自宅にて講座を開講することになりました。
2002年9月の事。
そして無謀にも、この時から色彩検定1級の独学を始めたのでした。
かづきれいこさんの本をきっかけに自分自身が変わり、そのおかげか次々と仕事のお話が舞い込んで来るようになりました。
自分の中でもうそろそろ趣味の領域を超え、本格的にプロとしてやっていきたいと思うようにもなってきていました。
カラー診断も気に入ってくださったお客様から次々と紹介してもらえ、グループ診断をメインにしていました。
このころの診断経験があったからこそ、今の私があるのだなっと思っています。
アナリストはなんて言ったって、診断経験が大事ですから!!
いくら理論を勉強しても、全ては一幕一幕の診断あるのみだと実感しています。
また知人からは、娘に色彩検定3級対策を個人レッスンしてほしいと頼まれ、初めて色彩検定対策をしました。
今思えば、とても無謀で、1級はまだ取得していなかったのです。
社交ダンスでは思い切ってダンス教室に通うようになっていました。
そんなある日のこと、レッスン中にふとした先生との会話の中でパーソナルカラーの話になり、プロの先生の衣装選びにと診断させて頂くことになったのです。
もちろん、もうボランティアではなくね!!
それがきっかけとなり、また先生の紹介もあって、そのダンス教室で他のプロの先生、アマの選手の方、デモに出られる方々の診断の依頼が増えました。
また、オーナーの女の先生からはAFT色彩検定2,3級の個人レッスンを頼まれ、ダンスのレッスンの前に授業をしていました。
もちろん、先生は見事合格されました。
今でもいつお目にかかっても先生にお似合いのスプリングの服をお召しになっておられます
社交ダンスではF先生とそのパートナーのドレス選びがきっかけとなり、社交ダンス二大月刊雑誌「ダンスファン」にてパーソナルカラーの特集を組ませていただきました。
NTTカルチャー教室のお話はその後どんどん進み、2003年1月開講にあたり、2002年11月に2回の体験会を開催しました。
また、あるリフォーム関係の工務店にてインテリアカラーのセミナーする機会に恵まれ、そのお話を聞きに来てくれていた方がカラーにはまり、その方の紹介で多くのお仕事をいただきました。
本当に不思議なのですが、どこか一カ所で仕事をさせていただくと、そこから派生して次々と嬉しいお話がやってくるのです。
カラーにはこんなにまで人を引きつける魅力があるのです。
まさしくミラクルカラーマジックです。
こんな仕事がやってみたいと思うとどこからとなくやってくる。
こんな方と知り合いになりたいと願うと偶然にも出会うチャンスが訪れる。
こんな講座が習ってみたいと思えば、良い先生に巡り会える。
不思議なことにこうなりたい!!こうしたい!!と願えば思い描いたとおりになっていくのです。
もうこのラッキーなサイクルにはまってしまった私はただ思い描くだけで幸運がやってくる事を身をもって実感したのでした。
夢は強く思い描けば、必ず叶う。
最後まで諦めちゃダメ! そしてそれに向かって努力すれば必ず成功するに違いないと常に自分に言い聞かせていました。
その頃、独学ではじめた色彩検定の1級もそろそろ追い込みの時期にさしかかり、正直、少しあせりが出始めていました。
それでもプライドもあり、何とか独学で突破しようと頑張っていました。
ところが、思わぬ事態に受検を断念せねばならなくなったのです。
体調不調?のため…
というのはいい訳で、やはり独学では自信がなく、不合格という通知を見るのが怖くて当日やや風邪気味という理由でドタキャンしたのです。
受けるからには一発で2次まで合格したかったのです。
その時点では1次は合格する自信はあったものの、どうしても2次の勉強方法がわからず、来年ちゃんとスクールに通い、一発満点合格をねらうことにしたのです。
ご存知の通り、AFT色彩検定1級は毎年合格率10%未満(最近は数字のマジックで30%近くになっていますが、これはあくまでも2次リベンジ組も入れての合格率ですから、1次からストレートに一発で合格する人はやはり10%未満なのです。)
そんなわけで2,3級合格から何と1級合格まで2年の月日を費やしてしまいました。
そして決めたことがあります。
来年の1級受検までに、パーソナルカラー診断実績目標1000人。
そのためには月平均100人。
個人個人のコンサルティングだけでは無理だと感じた私は、セミナーの中でモデルだけに診断するのではなく、一人一人全員のクイック診断をしていく案を思いついたのです。
なぜなら、今まで参加したパーソナルカラーのセミナーで参加者全員のカラー診断をするセミナーを見たことがなかったからです。
参加者の中から、1,2人のモデルを使ってのセミナーでは、診断してもらえた人のみお得感があるのですが、診断してもらえなかった人たちはやはり不満足そうな顔をしておられたからです。
誰もしないなら、私がやればいいんじゃないかと…
もちろん、全員の診断付きのセミナーはどこへ行っても大盛況でした。
診断が増えれば増えるほど、一方で大きな疑問がつのっていきました。
パーソナルカラー理論では肌の色が黄みを帯びた人はウォーム系が、肌の色がピンク帯びた人はクール系が似合うというものなのですが…
肌の色はどう見ても黄みを帯びてマットな感じの人がオータムの色を身に着けると、ますます黄み帯びてくすんで暗く見える。
このような人は決まって、サマーの淡く澄んだパステルカラーがよく似合うのです。
また肌の色はポーセリン(ピンク肌)で透きとおるような色白の方にサマーの色を当てると青白く顔色が悪くなるのです。
このような人は決まって、スプリングの暖かみのある淡い色がよく似合うのです。
理論とまったく逆になってしまうのです。
その当時の私は4シーズンシステムと性格を取り入れたシステムを学んでいたのですが、今のように8タイプ、12タイプ、16タイプと細分化したシステムがあることを知らなかったのです。
どうしても納得がいかず、この疑問を解消するにはまた新たなパーソナルカラーシステムに出会うしかないと思ったのです。
きっと今なら、私オリジナルのシステムを開発したかもしれませんが、まだまだ未熟だったその当時、再びパーソナルカラーアナリストプロ養成講座のスクール探しの旅に出る決心をしました。
カルチャー教室ではNTTカルチャーと、ベストライフカルチャーで講師をさせて頂くことになりました。
ところが半年ばかり過ぎた2003年6月にNTTカルチャーが先方の都合で閉鎖されることになり、せっかく生徒も増えてきてこれからという矢先の事で、途方に暮れてしまいました。
そんなある日、NTTの責任者の方から、京阪百貨店のカルチャースクールで講座をしたらどうか?と言われました。
「紹介もないし、知り合いもいないのにどうやってさせてもらうのですか?」と聞いたところ、
「きっと、大丈夫だから、自分で売り込んでみたら?」とおっしゃるのです。
まさか? 講師募集もしていないのに採用されるわけないじゃないっと随分弱気で、しばらく考えました。
でもでもこのままでは教えることさえできなくなる。
どうしよう? どうしよう?
電話を取っては置き、取っては置き、何回この動作を繰り返したでしょうか?
そして迷った末に、思い切って京阪カルチャーに電話したのです。
ところが受話器に出られた相手に向かって私が発した言葉は…
「おたずねしたい事があるのですが、今そちらのカルチャーではカラー講座は開催されていますか?」
なんとなんと、これじゃまったくもってダメじゃない?
「残念ながら、カラーの講座は開講していませんが、カラーのどのような内容の講座がご希望ですか?」
おいおい生徒にまちがえられたよ~
当たり前ですね!
まだまだ営業はいたにはついていませんでした
けれど、このまままだとせっかく教えかけていたカルチャーがなくなってしまう。
なんとか次のカルチャーを見つけなくては…
なぜ、このときこんなにカルチャーにこだわっていたのか?今となってはわからないのですが、そのころの私はカルチャーしか頭に浮かばなかったのです。
そして、あの電話から一週間後、思い切ってもう一度京阪百貨店のカルチャーに電話したのです。
「おそれ入れますが、今カルチャー講師の募集はありませんか?」とね。
そしたら、「どのような講座ができますか?」と聞かれ、
「カラーコーディネイトなど色に関する講座ができます。」と私。
すると、なんと
「そういえば、一週間前にもカラーの講座がありますか?という電話がありました。
今、カラーコーディネイトは人気なのですか?」
うそっ!まじですか?覚えている、どうしよう?わざとじゃないけど…と心の中で焦る私。
だって、一週間前に電話したのは、とうの本人の私なのですから。
生徒に間違えられたね。
でもきっと同じ人物であるとわからないに違いないと気を取り直して、
「はい、今とても人気の講座です。」と私。 きっと人気に違いないと心して言いました。
「一度、お目にかかってお話を聞かせて頂けますか?」とカルチャー側。
思わず、やった!と心の中で叫んだ私。
そして、それから一ヶ月後2003年5月、キャンセル待ちが出るほどの大盛況で体験講座をさせて頂くことになったのです。
その体験講座に参加された2人は今ではプロのカラーアナリストとして立派に活動されています。
『カラーのプロとして』
京阪百貨店のカルチャーでの一日体験の申し込みがこんなにあるとは思っていなかったので、正直ビックリしました。
世の中の人がこんなにカラーに興味を持ってくれているなんて、嬉しく嬉しくて、結局定員18名のところ、100名を超える申し込みがあったらしく、カルチャー側も前代未聞だとビックリしていました。
全員に参加してもらいたいと考えた私はカルチャーに頼み込んで、1回講座を計4回させもらったのです。
そして、順調に一日体験講座から本講座への申し込みをいただき、晴れて2003年6月より、京阪カルチャー講師として2講座受け持つことになったのです。
そして、8月にはなんと京阪百貨店人事部からカラーコーディネイトの社員教育の依頼を受けることに…
この後、大きなどんでん返しが待っているとは想像もせず、ただただビッグな仕事の依頼に舞い上がっていました。
京阪百貨店人事教育部から色彩に関する資格取得につながる社員教育を依頼され、本来ならば、直接実践につながるパーソナルカラーをさせていただきたかったのですが、先方が公的な資格講座がご希望でしたので、やはりAFT色彩検定3級からでどうか?と提案をしました。
先方もそれでお願いしますという事になり、9月から週一でカリキュラムを組ませていただいたのです。
そして、いよいよというときになんと先方からこんな連絡が…
「大変申し訳ないのですが、今回のお話は無かったことにしてほしい。」と
えっ、一瞬耳を疑いました。
「どういうことなのですか?」
「先生の事をいろいろ調べさせて頂いたところ、AFT色彩検定2級までしか取得されていませんよね。2級までなら社内にも取得している者がおりますから、その者にさせることにしました。」と。
が~ん!!が~ん!世の中、そう甘くはないのでした。
1級持っていないのに、カルチャー講師できたのが不思議だったので、こんなところに落とし穴があったとは…
そして、この時心に決めました。
こんな悔しい思い二度としたくない、色彩に関する資格は全て取得しようと。
色彩検定1級取得はもちろん念頭にありましたが、もう一つ気になることがあったのです。
それはパーソナルカラー4分類の事。
今、日本でメジャーなパーソナルカラー理論は四季に例えた4分類。
春夏秋冬です。
その頃の私も例外ではなく、4シーズン分類を習得し、4分類で診断をしていました。
ところが診断すればするほど、疑問が生じ、実際には4分類以上に分けられるのではないか?と…
そして2003年秋、大阪にあるほとんどのスクールを見学し、あるスクールに通う事にしたのです。
そのスクールでは16分類の方法を学びました。
学べば学ぶほど、納得がいき、今までの疑問が嘘のように診断しやすくなっていったのです。
考えてみると、パーソナルカラーを学ぶのはこのスクールで3回目になります。
パーソナルカラージプシーとはまさに私のような人のことですね。
でもまだこれで終わりではなかったのです。
パーソナルカラーについて深く深く学んでいくうちに、心理的な部分も大きく作用することがわかってきました。
私は最初にパーソナルカラーを学んだ先生が、色彩心理に強い先生でいらしたので、初めから色彩心理を学ぶことができたのはとても光栄でした。、
しかし、ここにきてもっともっと深く色彩心理を学びたくなっていました。
色は無限大で奥が深いから、学べば学ぶほど、もっともっと知りたくなるのです。
けれど、色彩心理はパーソナルカラー以上にいろんな考え方があり、何が自分に一番合っているのかまったくわからないのでした。
色彩心理を学ぶには、心理学を学ぶことから始めようと考えました。
そしてあれこれ学んでいくうちにある決まった法則があることを発見し、それからは色彩心理がとても面白くなっていきました。
パーソナルカラーと色彩心理にも深い関係があることもわかってきました。
色彩心理は平行して学んでいましたが、パーソナルカラーはもうこれで大丈夫だと確信していたのにもかかわらず、どうやら私の中でまたも納得いかない、理論では説明できない人たちが存在することがわかってきました。
通常、日本人の肌色は明度が高い人は彩度が低く、彩度が高い人は明度が低いという反比例の関係にあります。
ところがそうでない場合もあるのです。
10人10色ですね。
またまた私のパーソナルカラーシプシーがはじまりました。
実は日本人の場合、最初にウォーム系とクール系に分け、この時クール系の人は問題なくクールな色を提案すればよいのですが(たまにクール系の中にもウォーム系の人もいるのですが)、ウォーム系になった人の中にはウォーム系の色よりもクール系の色の方が似合いやすい場合があるのです。
ウォーム系の中でもさらにウォーム系とクール系に分けるのです。
大事なのがここ。
見た目はウォーム系の中のクール系の人が存在することを見逃してはならないのです。
結構多いのです。
実は私もその一人。
このことがわかった私はもう二度とカラージプシーすることはなく、現在に至っているのですが、その判断で大事な事があります。
それはイメージ分析をパーソナルカラー分析を行うときに同時にするということ。
色からの分析だけでは正確な診断は難しく、形からの分析をプラスすることによって、より正確な分析ができると思います。
随分、小林重順先生の本のお世話になりました。
小林重信先生の本との出会いによって、私の色に対する考え方が大きく変わってしまいました。
一般には形より色の方が相手に与える影響が大きいと言われていますが、それは色に形=イメージも加わっての事だとわかりました。
実際に色が似合っていても形(デザイン・シルエット)が合っていないと、ださくなってしまい、反対に色が似合っていなくても形(デザイン・シルエット)が合っていると、結構センスよく着こなせるのです。
もともと1980年にアメリカから日本にパーソナルカラーが入ってきたときは色だけではなく形もふくめたカラー&イメージが広まっていました。
ところがいつのまにか(第二次ブームを向かえた6,7年前くらいから)カラーとイメージを分けるようになったようです。
私自身はパーソナルカラーを最初に習ったときはカラーとイメージが両方カリキュラムに入っていましたから、選ぶこともなくイメージまで取得したのですが、今は別々の講座になっている場合が多いのです。
私自身経験の中で思うことは、今の時代、単に色だけの提案ではお客様を満足させることは難しく、また正確な診断も難しいということです。
色だけでなく形までを含んだヘアスタイルからヘアカラー、メイク、ネイル、ファションスタイル、小物、アクセサリー、ネイル…まで頭のてっぺんからつま先までのトータルカラー&イメージを提案できるカラーアナリストでなければならないと思うのです。
そしてそれが原点に戻った本当の意味でのカラーアナリストの姿だと感じています。
少しづつではありますが、景気が良くなってきている今日だからこそ、カラーアナリストに求められる水準も高くなってきているような気がします。
イマジネーション=想像力、人の魅力を最大限に引き出す色=形を想像して、自由に操る、それが私達カラーアナリストに求められる一番大事な事だと思うのです。
”Imagination Colors”の名前の由来はジョンレノンのイマジンも少し影響していますが、子供の頃から何でも夢見て想像することが大好きだった私の思いを名前にしたかったのかもしれません。
パーソナルカラー分析には考えていた以上にイメージ分析が大事だとわかった私は今度はイメージコンサルティングの診断ツアーをしてみました。
自分自身のことは一番わかっているようで実はわかっていないのです。
なぜなら、自分自身は一生見ることができないのです。
できるのは鏡の中だけ、しかも客観的に外からも見ることができない。
何人かのカラー&イメージコンサルタントの先生にアドバイスを受けた私が驚いたのは、パーソナルカラーの時と同じだったことです。
それぞれの先生によって、言われることが違うのです。
柔らかい曲線帯びたエレガントなシルエットが似合いますよ。
直線的でシャープなかっこいいマスキュリンなシルエットが似合いますよ。
えっ~全然違うじゃな~い!! しかもまったく正反対
いやいや二人の先生の言うことだけではまだまだわからないから、もう少し診断を受けに行ってみよう!
でもやはり結果は同じ、いろんな事を言われてよけいわらかくなってしまう。
そしてまたまたパーソナルカラーの時と同じ、もっと研究して私なりの理論をだしてみようと思うようになったのです。
イメージ分析の決めてはフェイスライン、ボディラインに加えて、骨格のボリューム(骨太か華奢か)、骨格や顔のパーツの堅さ・柔らかさ、肌質・顔のインパクト、目鼻立ちのパーツの大きさ、顔やパーツの形、顔の特徴やパーツの大きさなどなどが相互に絡み合って、ネックライン、ファションシルエット、生地の張り・厚さ、柄の大きさ・形、素材感、アクセサリーの形・ボリューム、眼鏡の形、ヘアスタイルが決まるのです。
すべて法則があり、似合う色と同じように似合うデザインが決まっているのです。
私の場合、パーソナルカラーもクール系とウォーム系の真ん中、ニュートラルタイプで実はイメージも中間に位置しているタイプだったのです。
だからありとあらゆるタイプに言われたというわけ。
納得納得
どの先生のおっしゃったっことも間違いではなかったのです。
最初は悩みましたが、今ではプラスに考えて、なりたいイメージに合わせて、好きなファッションを楽しむ事にしています。
やはり一番私の好きなイメージはサマーの色を使った上品で女性らしいエレガントスタイル。
けれどなぜか?仕事の時はウィンターの色を使ったモダンでシャープなマスキュリンフェミニンスタイルが多くなっていますが…
パーソナルカラーもイメージも私の頭の中でマトリックスができあがり、短時間での診断も随分スムーズに出来るようになってきました。
また、ドレープを当てなくても(本来は必ずドレープを当ててみていきますが…)、どうやら映像でその方のカラーグループ、ベストカラー、イメージまでが頭に浮かんでくるようになったのです。
不思議不思議!!
人の肌色の明度、彩度、また顔のつや、目力から似合う色、デザイン、イメージが自由自在にわかってくるようになったのです。
こうなったら、もうこっちのもの、診断が楽しくって楽しくって、カラーの仕事は全て楽しくって大好きですが、その中でも最もワクワクするのは初めて見る方にドレープを当てる瞬間なのです。
第一印象で似合う色、デザイン、イメージをあらかじめ検討してからドレープを当てて診断していくのですが、検討がピッタリ一致した時の瞬間がたまらない。
この方法で短時間でも正確な診断が可能になったのです。
だたし、ドレープを当てないでの診断は絶対に禁物です。
私の中でこの方法を伝授していきたい、その頃からそう思うようになっていきました。
私と同じ考えをもつパーソナルカラーアナリストを養成していきたいと…
そしてその一ヶ月後の2004年9月スタイルカラージャパン第一期生5人を育てる機会に恵まれ、私の得た知識を伝授することによって、少しずつですが、私オリジナルパーソナルカラー理論を確立させることができました。
私がカラーに出会った頃は今ほどカラーがブームではなく、パーソナルカラー診断してもらえるところを探すのに苦労しましたが、今ではだいぶメジャーになってきました。
そして仕事も提案次第では、山ほどあります。
考えるだけでワクワクします。
随分良い時代になってきました。
景気も少しずつ上向き、これからは断然カラーの時代。
ますますパーソナルカラーアナリストの需要が増すに違いないと思っています。
私の夢は、カラーの魅力、カラーパワーを一人でも多くの人に伝えて、色で世界を幸せにすること。
そのためにはまず、私と同じ考え方を持つ、パーソナルカラーアナリストをたくさん育てることが先決なのだと思ったのです。
一人で頑張ってもたかがしれているから、多くのアナリストと一緒に発信していけば、広がるのも一人よりずっと早いにちがいない。
それにはまだまだアナリストの数は少ないのです。
特に中国地方、四国地方、九州南部、東北地方、北海道などではアナリストは数えるほどしかいないのが現状のようです。
せっかくアナリストの資格を取得しても、活かされていない方も多いとか…とても残念に思います。
ペーパーアナリストにならないためにも、出来るだけ多くの人を診断していって経験を積んでほしい。
資格取得だけで終わらないでほしい。
自信がないなら、自信をつければいい、未熟だと思うなら、もっともっと勉強すればいい、実績がないなら、実績をつければいい。
絶対にあきらめないでほしい。
「ローマは一日にしてならず」です。
私もまだまだだと思っています。
色の世界は奥が深いから、一生勉強だと思っています。
けれど行動しなければ何事もはじまらないから、まだ行動をおこしていないアナリストの方は失敗を恐れず、今すぐ行動をおこしてほしい。
「なりたい自分」「やってみたい仕事」の実現はそれを「どれだけ強く思っているか」「どのように行動するか」にかかっています。
そうすれば、必ず夢は実現します。
この頃(2004年)から、私の中で、専門学校でもカラー講師として、色彩学を教えていきたいと思うようになってきていました。
ある新聞広告にS専門学校で講師募集を目にした時、思わず、カラー講師募集ではない事にも気がつかず、大きなプロマイド版のプロフィール用の写真と共に、履歴書を送りました。
すぐに採用担当の方から、カラー講師は募集していないので、履歴書一式をお返しさせて頂きましょうか?との連絡をもらいました。
そこで送った書類をわざわざ返送していただくのは申し訳ないし、もしかしたら、来年、いや再来年、カラー講師が必要になるかもしれないので、できれば保管していただけませんか?とお願いしたのです。
それから1年半たった2006年1月の事、S専門学校の学園長自ら、連絡頂いたのです。
来年度より、カラー講師が必要となりましたので、一度面接をしたいと…
面接の為、学園長の部屋のドアを開けたとたん、私の目に飛び込んできたものは、目の前の壁に飾ってあった、フランスの画家ギアマンの版画でした。
我が家のリビングに飾ってある版画もギアマンのもので、驚いたことに学園長室に飾ってあった版画は実家のリビングに飾ってあるものとまったく同じだったのです。
版画だから、何枚か同じものがあるのです。
ギアマンの絵画はどれも流れるような筆使いで、タッチも繊細、キャンパスのどこかに馬が描かれているものが多いのです。
我が家の版画には”愛のドラマ”という題がつけられています。
あまりにもの偶然に面接というよりはこの版画の話題や神戸の画廊の話で盛り上がってしまったのです。
学園長を前にして、すっかり面接というのも忘れ、色と絵画の事を夢中で話していたのを思い出していました。
それがよかったのか、その場で講師として採用されたのです。
あまりにもの偶然、シンクロニシティ現象を感じた瞬間でした。
カラーとの出逢いによって、不思議なシンクロニシティー現象がとても多くなってきました。
カラーの仕事はまだまだ一般的ではなく、カラー講師・カラーコーディネーターの求人は残念ながら、まだほとんど目にすることはないのが現状です。
だからせっかく取得したカラーの資格を生かすことなく、諦めていく人の多いのはとても残念でしかたないです。
なぜ?諦めてしまうのだろうか?
きっとその理由は仕事を見つけることができないからなのではないのでしょうか?
カラーのプロはそのほとんどがフリーランス、どこかの団体に所属して仕事をするのではなく、みんな個人店なのです。
ということは、質のいい営業マンを雇う事のできるカラーのプロは別として、自分自身をアピールしなくては、仕事にならないのです。
それができなくては、仕事がないのはしかたないのかもしれません。
でも大丈夫なんです。
営業と思うから、ためらうのであって、まだまだ”色”の大切さを知らない人々に色の大切さを伝えるという思いで、お話するだけでいいんです。
そうすると、不思議なもので、皆さん、目をキラキラさせて、色の話を聞いてくださり、気がつけば、仕事に結びついているんです。
どうか、まだ一歩を踏み出すのをためらっている貴方、勇気を出して、色の素晴らしさを伝えてみてください。
そうすれば、必ず、幸運の女神が貴方に微笑んでくれますから。
カラーと出逢い、またカラーを通じて、多くの方に出逢い、その中で思うことは、出逢いは偶然ではなく、すごい確率で必然的に出逢っているということです。
世の中には科学では説明のつかない不思議な偶然がたくさんあります。
私たちが現在生きているこの地球ですが、この地球が今のように沢山の生命が住める星であること自体、実は科学では説明がつかないのです。
惑星の位置、大きさ、生命の誕生、生物の進化など 今のような環境になる確率を計算しますと、その数字は限りなく0に近いものになります。
科学的な計算では現在のような地球は「存在していない」という答えが出てしまうのです。
でも、現在地球は存在しています。
途方もない偶然の重なり合いです。
日常生活でも、不思議な偶然はたくさんあります。そんな経験はありませんか?
例えば、噂をしていた人物が現れた。
遠い旅先で偶然知人に会った。
必要としていた物をいただいた。
その人の事を考えていたら、偶然にもメールきた。
自分で買ったり、人から貰ったりして、同じ物が集まってきた。
同じ日に仕事のオファーが集中した。
数えだしたら切りがありませんよね。
けれど、こんな日常の些細な偶然から、歴史的事件の偶然、勘や予知などの直感、超能力的なもの、また上記の地球が存在する偶然も実は同じ種類の秘密から成り立っているものなのです。
スイスの心理学者カール・グスタフ・ユング(1875年~1961年)は世界に溢れるこの「意味のある偶然」に注目して、世界で初めてシンクロニシティの論文を発表しました。
「シンクロニシティ」はユングがつくった言葉で、直訳すると「共時性原理」、“意味のある偶然の一致”のことです。
人との出逢いにはすべて意味があるんだと思います。
これからも人との出逢いを大切にしていきたいと思っています。
『エピローグ』
人生って不思議なもので、自分が思った通りの人生を歩んでいくような気がします。
こんなもんでいいと思えば、そこそこになるし、もっともっと幸せになりたいと願えば、そのように行動して、幸せになっているし、ようは心の持ちかた次第だと思います。
カラーのプロになりたいと思ったならば、そのための知識を取得しなければなりませんし、知識を取得したならば、それを活かさなければなりません。
でも大丈夫なんです。
心がいつもポジティブでポジティブな言葉を使い、微笑んでいれば、不思議と幸運が飛び込んでくるようになります。
カラーとの出会いにより、多くの人と出会い、それによって私自身もどんどん変わってきました。
専業主婦だった私は、これといった特技も人脈もコネもなく、どうやって仕事に結びつけていっていいのかもわからず、まったくの0からのスタートで、ただただがむしゃらに突っ走ってきました。
色に出逢って8年、私の考えていることに賛同してくださる人脈もたくさんできてきました。
私の中で暖めていたことが少しずつ形になってきました。
色で世界を幸せにするという大きな夢=目標が叶いつつあります。
私の中で暖めていることが形になった時、「えりこのカラーストーリー part 2」を書きたいと思っています。
皆さんが、なりたい自分を夢みて、今よりももっとステキ☆でキラキラ輝いてくださることを願って…(2006年5月~書きためたブログより)
continue
2008年8月8日 Imagination Colors 代表 二宮恵理子