Imagination Colors 代表 二宮恵理子です。
今日はパーソナルカラーについて少しつぶやいてみたいと思います。
10月に大阪では2回目のパーソナルカラーフェアが開催されまして動員数前回の1000人を上回る1500人、今回は企業様の来場が特に多く、これからますます重要性が高まるであるに違いないと実感しました。
パーソナルカラーフェア初日、認定講師の皆さん
このフェアで学んだパーソナルカラー最新情報については、来年1月24日(金)開催予定の第19回カラー交流会でお話しさせていただきますね。
先週はその懇親会もあり、盛り上がってきている今日この頃。
懇親会でのトミヤママチコ先生のご挨拶
トミヤマ先生を囲んでの一枚
ご参加の認定講師の皆さんと
私の色との出逢いはパーソナルカラーからでした。
2000年4月に受けたパーソナルカラー体験セミナーがきっかけでした。
その話はこちらをお読みくださいね。
あれから13年たった今、企業様への認知度も上がり、またオリンピックが東京に決まった際にイメージコンサルタント起用したのもきっかけにまさにパーソナルカラーとイメージが注目を浴びてきています。
では今日はパーソナルカラーのルーツについてお話してみますね。
「パーソナルカラー」が戦略的に使われたのが他でもないアメリカの大統領選挙戦、1960年ニクソンとケネディーの大統領選挙で、ケネディーはプロのカラーリストを雇い、色によるイメージ戦略を図りました。
ケネディーと言えば、今最も旬の人、アメリカの駐日大使、キャロライン・ケネディのお父様。
当時のテレビは白黒でそのため着用した濃紺のスーツは黒く映り、存在感と力強さが表現され、彼の若々しく(当時43歳)行動的なイメージとあいまって多くの市民に支持されたと言われています。しっかりとメイクも施されていたそうです。
これを機に、アメリカで著名人を筆頭に 「自分をプロデュースする」イメージコンサルティングが流行しました。 そしてこの考えが発展してシステム化されて、現在一般的な4シーズンズが登場したのが1973年。
その後キャロル・ジャクソンが「カラー・ミー・ビューティフル」という本を出し組織を作り、その後アメリカのカラ-リストに師事した日本人女性達が に日本に伝えたのが1983年。
色の分野ではアメリカはかなり昔から研究されており、世界大戦中に、爆弾を作る工場の壁の色を何色にすれば、もっと時間当たりの生産性が上がるだろう?などと考えられていたようですが、その頃日本はというと、やっと家庭の金物を寄せ集めて武器をなんとか作っていたという現状を考えれば、そもそもその感覚のレベルが全然違ってて、日本が大戦に負けたのは、当然(認識が甘い)のような気がするのですがね・・・
話は元に戻って、色の分野では日本はまだまだ歴史が浅いのです。
色の資格で最も知名度の高い、色彩検定(A・F・T)がスタートしたのも1990年からなのですから。
ただ色の研究は、先にお話ししたように、日本以外の国(ヨーロッパ・アメリカを中心に)で随分古くから行われてきてたので、 パーソナルカラーが感覚ではなくしっかりとした理論があることもお話ししておきますね。
●フェバー・ビレンの warm shades, cool shades の分類法
フェバー・ビレンはそれぞれの色相ごとに暖かい色(warm shades)、冷たい色(cool shades)があると考え、究極の暖色を橙、究極の寒色を緑みの青としました。
●ロバート・ドアの色彩調和システム
ロバート・ドアは元々学者ではなく、インテリアの分野で活躍された方だそうです。 1928年に色彩調和の原理を発見。 色をイエローベースとブルーベースに分け 同じグループ同士の色は自然に調和する『カラーキープログラム』を完成させました。このプログラムは、カラーコーディネートを簡単にし、大変重宝されました。
●ヨハネス・イッテンの色彩分類法
ヨハネス・イッテンは、スイスの美術家です。 また、ドイツのバウハウスという有名な美術・建築学校で 教師を務めていたことも有名です。 彼は自然界の四季に注目し、 四季の自然な色彩調和の美しさを研究し、 後にパーソナルカラーの原点となる「四季の分類法」を成立させました。また、「好きな色は訓練と学習によって一致できる」と述べています。
パーソナルカラーは、こうした色彩学の歴史を経て、今に至っています。 次回はパーソナルカラーの現状とこれからについてお楽しみに~