大阪パーソナルカラー養成スクール| Imagination Colors®(色彩教育/カラー研修・セミナー)

パーソナルカラーのルーツをたどると諸説がありますが、私が一番に浮かぶのがヨハネス・イッテンです。

彼は私が最も尊敬しているスイスの芸術家であり、理論家、教育者でもありました。ヨハネス・イッテンは、40年来の研究の集大成として1961年に出版された著書「色彩の芸術:THE ART OF COLOR」の中で、人のカラーリング(肌、髪、目の色等、人間の肉体の持つ色調)と魅かれる色は関連があることを発見し、その相互関係を自然の四季と関連づけて、統計的に証明しました。(色彩を四季になぞらえて、春・夏・秋・冬に分類した場合、例えば春タイプの明るいカラーリングの人は、自分と同じ春の明るいトーンに魅かれやすい、ということです。)

ここでは自分の持つ色と似た色に魅かれるということだけですが、その色を使うのが得意だということも述べています。

ヨハネス・イッテンがパーソナルカラーを提唱したわけではありません。

1923年には、アメリカのロバート・ドアがブルーアンダートーンとイエローアンダートーンを基本とした調和論を発表、これを基にした、「カラーキープログラム」によるコンサルティングが行われるようにないり、パーソナルカラーの起源となりました。

ブルーとイエローのアンダートーンで全ての色を2つに分けた、このロバート・ドアの2分類法から始まって、ヨハネス・イッテンの」四季の調和論の考え方を取り入れて、4シーズン分類法が編み出されていったようです。

1960年、カラーコンサルティングの重要性を知らしめる出来事が起こります。
アメリカ大統領選挙でジョン・F・ケネディとリチャード・ニクソンが戦った時、テレビとラジオを使って討論会が行われました。
ニクソンはグレーのスーツにソフトな色合いのシャツ、シックな色合いのネクタイで、一方ケネディは濃紺のスーツに白いシャツ、メリハリのある柄のネクタイといったいでたちでした。当時のテレビは白黒だったので、色みは分からず、色の濃淡のみが分かる状態なので、ニクソンは全体にグレーにぼやけて映り、ケネディは白黒ですっきりと見えたのです。

左がケネディ、右がニクソン

 

これからのアメリカを担っていくパワーが見た目から感じられたのはケネディだったのです。「ラジオで聞いた人の多くはニクソン氏に、テレビ視聴者はケネディ氏にそれぞれ軍配を上げた。」とキャロライン・ケネディ(ジョン・F・ケネディの娘)は指摘しています。

このケネディのコントラストの利いた装いを作り出したことで、色というものを有効に利用して、自分自身のイメージを変え、センスアップに生かすという考え方が世の中に認められるようになりました。

1980年にはゲリー・ピクニーが4シーズン法により、ファッションアカデミーにおいて「カラー・ミー・ビューティフル」という講座を開講しました。 その授業を受けたキャロル・ジャクソンは1981年にパーソナルカラーの教本ともなる「カラー・ミー・ビューティフル」を出版し(この本は日本では1983年に翻訳版が出版されています)、この本がベストセラーになると同時に、パーソナルカラーの考え方が社会的に受け入れられるようになりました。

キャロル・ジャクソンはこの本の成功をもとに「カラー・ミー・ビューティフル社」を設立し、アメリカではこのビジネスの主流組織のひとつになっています。

他にもバニース・ケントナーの「カラー・ミーア・シーズン」などカラーシステムは様々あり、アメリカでは色々な形でカラーコンサルティングが行われていました。

誰が最初かは定かではありませんが、日本人女性がアメリカでこのことを知り、カラーコンサルティングを受けたことをきっかけに、日本にもメディアを通して伝えられるようになりました。

1980年半ば日本にもアメリカからこのシステムが入ってきていますが、そのほとんどが白人を対象としたパーソナルカラーシステムでした。その頃、日本人数名がアメリカで開催されたカラーコンサルティング研修を受けに行った時のこと、ドレープで診断することもなく、「日本人は皆ウィンターかオータム!だ、なぜなら髪も目も暗い色だから!」だという話はカラー業界ではあまりにも有名です。

このシステムが日本に入って来てから、日本人には似合いにくい色が入っていること、元々は人種のるつぼと言われるアメリカで白人や東洋人などと人種によって似合う色が考えられていたシステムを、単一人種の日本でそのまま使って診断することに無理があるのではないかと考える人たちによって、日本人向けのシステムなども開発されるようになりました。

化粧品メーカーもパーソナルカラーシステムに関心を持ち、各社がカラー分析の研究開発に力を入れてきました。

パーソナルカラーのスタジオが次々と設立される中で、他社との差別化を図るため、カラーパレットの分け方を変えたり、名称を変えたりと独自色を打ち出していったため、統一感がなくなり、スタジオによっては分析結果が異なるといったことが出てきました。

また分析結果そのものは同じであっても、その人の魅力をどこに重点を置くかは、どうしても、カラーコンサルタントの考え方に左右されていくため、そういったことからも、カラーコンサルタントによって異なる結果が指摘される事態が起こりました。

初期の4シーズンシステム法で仕事をはじめたカラーコンサルタントたちは、分析を行う中で、4シーズンでは割り切れない思いを抱くようになり、さらに独自の分類方法をあみだしてゆき、日本ではパーソナルカラーシステムは多様化してゆきました。

日本人の肌色や嗜好に沿って、繊細な濁色(中間色)が加えられたり、タイプ分けを細分化したりして独自のカラーパレットの開発も進められています。

この様にシステムが多様化してゆく中で、1997年には、日本色彩学会にて私が尊敬する門田真乍子先生により、パーソナルカラー研究会が発足し、研究発表が行われるようになりました。

2003年以降日本では「パーソナルカラー検定」というものがスタート、それぞれの団体が独自の検定を行っていますが、目的や方法、使用するものが違うなど国が認めた統一されたものではありません。

2008年現在では、2つのパーソナルカラー検定が行われています。
・NPO法人日本パーソナルカラー協会主催「色彩技能パーソナルカラー検定」
・一般社団法人 日本カラリスト協会主催「パーソナルカラリスト検定」

私がおすすめしているのは、NPO法人日本パーソナルカラー協会主催「色彩技能パーソナルカラー検定」です。

パーソナルカラー検定についての詳細★★★